M様 お元気そうでなによりです。

こちらは持病に閉口しつつも楽しくやっております。

初夏の頃より、周囲の状況が急に変化し僕は自分の夢を

現実化することに向けて加速することになりました。

徹夜のできる体力も無く

一気に「有名人」!とはまいりませんが

家族やファンの皆様の御力を借りて

描いてきた夢をかなえようと思っています。

…僕の旧作の載った古雑誌をみつけたら

どうぞ多少高値でも御購入下さい。

夢(後述します…)と記しましたが

これは’72年頃 心に抱いた志のことです。

それより若い頃の

夢は古書店をやってみたいというものでした。

どうやら、こいつはかないそうにありませんが、

古書店ならびに市場やコレクターには

思い入れが強く、大切に考えております。

「まんだらけ」には関心以上の…羨望!の気持ちを抱き

注目してまいりました。

たとえば、旧知の編集者が僕にコンビニ本発行を

すすめてくれた折

婉曲にお断りしたのは貴兄他古雑誌コレクターのことを

慮ってのことです。

楽しみながら文化保存の基ともなる古書市場の成長は、

(行政にその装置が無い)この国の

貴重な社会システムの一つを構築することに等しいのです。

じっくりがんばって頂きたいと心より願っております。

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「志」の方をすこし記します。

若い頃、僕はほとんどのジャンルの雑誌に

漫画を発表しました。

小説の挿絵・図解と指名されればなんでも面白がって

仕事をしました。

COMという漫画家志願者のための雑誌出身ですから

自分の務めは、漫画の領域拡大にあると思ったからです。

「とみんエレジー」という短編シリーズを描き、

絵画と文芸表現での部分は極限まで届いたと

自分で納得がいきました。

次は

長編物語をと思っていました。

日本漫画界の成長文脈ではそうなるからです。

そこへ、イタリア・フランスの鬼才の作品が登場しました。

クレパクス(GUIDO CREPAX

ドリュイェ(PHILIPPE DRUILLET

です。

彼らの世界的成功は衝撃的でした。

美意識の高さと豊かさ、そして驚愕のイマジネーション。

それは才能の違いというものだけではなく、

才人を産む文化的土壌の格差の問題…

そのようにキメつけたくなる程、段違いの作品でした。

アメリカ・日本の漫画と異なり

フランスのものは大版色刷りで紙質の良い

絵本のごとき造本です。

この国の読み捨てを前提とした出版発想とは

まるで次元が違います。

長く残し、楽しむために刊行したのだ、と

その本達は僕に語っているように感じました。

当時

「時代の旗手」とか「鬼才」とか

キャッチフレーズをつけられ

日本漫画文化向上のため良い仕事をしようと

思っていた僕は…

ペシャンコ!!!になりました。

トキワ荘系漫画家になりたいと夢見ていた時代…

平田弘史・小島剛夕 両巨匠の作品に出会い

ペッチャンコとなった…。

以来十年

追いつくことだけを目標に必死で自分に鞭打ち

アシスタントをデコペンして登りつめたと

自惚れてみたら…

はるか天空を悠々と天馬が翔けていったのでした。

いつか肩を並べられる漫画家になりたいものだ…。

いつかって いつ?ワカラナイ。

けれど

どうすればという問いへの答は知っておりました。

青林堂へ遊びにいったとき、

長井さんが白土氏の生活ぶりを話すことで

志をおいつめる心構えを教えてくれていました

「自己を律し生活をきりつめる」です。

また

水上勉先生を訪ね助言を頂きました。

「人の行かぬ道を進め そこに必ず花がある

…見つけた花をビタ銭にかえてしまうのも、

大きな宝とするのも君次第なのだ」と。

そして

その後の二十数年に及ぶ二度目の修行時代がスタート

しました。

タルんできたときは いつも長井さんの語り口を

思い出すことにしています。

「…三ちゃんちのとんカツはね、風に舞いそうだったヨ」

招かれて白土宅に行ったとき

「せっかく勝ちゃんが来てくれたんだから

夕食はカツでもごちそうしよう」

そこであらわれたカツが紙のように薄いものだった

と語ったのです。

残りの問い

どのような作風を作り勝負するか?

これはもう

自分のできることを磨きあげる

これしかありません。

センスやイメージは敵いっこないのですから

日本人特有の「良い仕事」をするだけです。

ていねいに

美しく

これだけ。

ドリュイェの成功によって

BD(フランスの漫画)が日本に数多く入ってきました…

といっても洋書店にですが。

僕は買い漁り、穴があく程見て勉強しました。

Clave氏やPUIG氏の作品は今も机の脇に置いてあります。

 

BDへの自分なりの回答を35才の頃一度やってみました。

それが「孔雀風琴」です。

まさか漫画誌に載ることはあるまい

と思い描きすすめました。

驚いたことに

白井氏(スピリッツ誌初代編集長)がさっさと

「ビッグゴールド」にのっけてくれたのです。

そればかりか高取英氏の進言によって

絵本のような造本で

…八重洲ブックセンターでは

画集コーナーに置いてありました…

出版して頂くことができました。

『へえ〜!?やってみるモンだな〜っ』

この国にも少なからず美意識の高い人々が存在したのです。

チャレンジは五分五分のひきわけでおわりました。

五分の負けというのは

収入が少なく、きりつめた生活をしても

子育て中の境遇では不足だったということです。

当時は原画売買の市場がなく

普通の画家のように

絵(原画)をコレクターに買ってもらって生活を営む

という発想がなかったのです。

もし、あの頃

一頁3〜5万円程で原画が売れたら

女房にアイソづかしされることもなく(苦笑)

直線的にBD漫画家への道を突き進んだことでしょう。

市場がなかったことによって

二十数年遠まわりしてしまったのです。

「孔雀風琴」は実験作です。

描かれているのは僕自身のヨーロッパ趣味ですから

本場にもっていけるものでもないでしょう。

勝負は「江戸物」でと

うっすら目標が見えてきました。

後は「物語」をつくるための取材研究時代となります。

何年かに一度

自分の腕をおとさぬために短・中編の漫画を描きました。

幸い、女房の実家が裕福であったため

子育てさえすませれば

また気楽な極楽トンボにもどれます。

ふと

思い出してみれば、この二十年近く

僕は収入とよべるようなものがほとんど無く

私大生二人分程の学費にあたる取材費用を

使いはたしてやって来ました。

総金額、考えるのもおっそろしい!!

つまりは

いつか一発あてるであろう

とか

この国の文化に貢献する仕事を成しとげるだろう

とかの

僕に対する期待感だけを手形にして

アチコチから借金してきました。全てフミタオシ…。

ですから もう…現状の格子無き牢獄生活、五年目。

まったく

柩の中で内側壁面にびっしり細密画を

描いている気分になったりもしました。

マ、これも身から出たサビ。いずれケリはつけマス。

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近況文どころか

とりとめのないグチまで記してしまいました。

ゴメン

十年近い取材生活をおくり

見るべきものは見た。

……この国では……。

次はヨーロッパを巡りパイプオルガンとか

教会祭壇の絵や木彫作品を見学に行きたく願っております。

ついでに

蒸気機関車や路面電車、それに野生動物、昆虫も…。

そのために

BD他外国漫画誌に新作を発表する計画をたてました。

…同じ旅でも、行く先々で

自分を心待ちにしてくれる人がいる方が楽しいですものね。

幸いユーロ圏国人の家族もできました。

むこうの市場を通じてコレクターを探し、

生活費のあまりかからぬ国で余生を送るのも良いと

考えております。

なにしろインターネットの時代です。

どの国に住んでも隣家に居るようなものですから…。

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そんなことで

最近は作品を描きながら身辺整理をはじめております。

作画に必要な資料をデジタル化せねばなりません。

捨てられそうもない旧作原稿もまた記録が必要です。

(運ぶには重すぎます…)

悩んでいたら

渡りに船!

読者の方が自分の趣味で僕の旧作を

デジタル発信してくれました。

そうです…あと何人か、そんな支持者が現れたら

僕はイラストや原画の一部をプレゼントするだけで

難問が解決されてしまいます。

ジャ−ン!!又しても「手形」が発行できるワケです。

ラッキー!!

ならば仕事(新作)に専心し、良い作品となるよう努力して

将来、献呈した絵がプレミア付きとなるようにすれば

…オォ、バッチグーッでは有りませんか!

となれば!?

一歩踏み込んで

手伝ってくれる方が画面上に自分のセンスを発揮して

彩色すれば…。

これは立派なコラボレーション!

出版社側が色気をしめしたアカツキには…

ギャラは山分け!

画家・イラストレーター志望の皆さん

御参加下さいマセ。

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旧作出版の件

「ライク ア ローリングストーン」(初期短編集)

「スーパーバイキング」(ヤングジャンプ誌掲載)

版元にお願いして

当分の間、発刊を延期して頂きました。

なにせ書店ではコンビニ本の大嵐!

まるでバナナの叩き売り。

背表紙に

タイトルや作者名より大きく

398!!

なんていうモノも出現しました。

まともな本造りとは思えません。

骨までしゃぶり尽す漫画産業界にはとてもついて

いけません。

君子危うきに近寄らず、…すこし後へのばします。

e-bookから「ダビテの眠る日」を販売したいという申し出がありましたので、

「スーパーバイキング」に換えてもらうつもりです。

「スーパーバイキング」の絵はとても細かく

描き込んであるため

プロ用のスキャナーでないとデティールが

つぶれてしまいます。

よって

これと「孔雀風琴」「とうきょう屠民エレジー」だけは

e-bookに頼もうと考えております。

デジタル化が完了した原画は順にオークションに出品し

コレクターや漫画家志望者に買ってもらうつもりです。

中学・高校生でも買えるように

一頁づつのバラ売りにしようと思っています。

以前、「まんだらけ」誌上で

松久由宇さんと松尾美保子さんの原画が

販売されていましたヨネ。

松久さんの絵は、品があって好きでした。

また

松尾女史とは御目にかかって(ちょっとポーッとなった)

おりますので

想い出の縁として、二・三頁買いたいものだと思いました。

けれど

一マトメとなると高価ですし、又保管の場所の有りません

そんなことで

僕はバラ売りが望ましいと考えています。

「漫画の描き方」というe-bookでのメッセージ作品は

文章・絵ともに次回分まで完成しております。

これは無料公開なので

会社側も僕も利益なく

おたがいのスケジュールに余裕があるときに前進させる

という風にしております。

……この漫画は

描きかたも実験ならテーマも前衛的なものです。

イスラム思想に立脚して未来物漫画を描くと

どのような作品となるか?……

石ノ森先生が逝かれた年令まで、僕もあと二年。

カタチだけでも

先生の志向された実験精神を踏襲しておこうと思っています。

本職以外では

木彫職人や漫画家・イラストレーター志望者の

参考資料となるであろう江戸時代のデザインの変遷

「近世装飾木彫の名匠達」という写真集を

まとめております。

これもデジタル化しHP上で無料公開するつもりです。

……これは、この国への恩返し。

こんなことで、

全くヒマが無く、浮世の義理も何一つ果しておりません。

ひきこもりジジイになってしまいました。

夜、十一時頃仕事をおえ

眠りにつく二時までが自由時間です。

その時

こうして楽しみながらおたよりを書くのですが

飲酒中ともなりますので

もう

ボケとも重なり、

ナニを言ってんだか自分でも分らなくなります。

乱文をおゆるし下さいマセ!

意味不明となっている部分は、御指摘下されば

再返信いたします。

これがホントの迷流(メール)文ですね…

退屈しきっておりますので

またいつでもからかってやって下さい。

では また……

…いつか

ヨーロッパの片田舎で

農家の納屋を改造し、個人漫画美術館をひらく。

前庭では

アヒルやヤギが遊び

屋根の上にはコウノトリが巣をかける…

そんなことを夢見て今夜も眠ります…。

森田敏也様      宮谷一彦拝